明徳義塾中学・高等学校 MEITOKU GIJUKU Junior & Senior High School

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学校行事21.01.13

3学期始業式

1月12日、3学期の始業式が行われました。竜キャンパスでは吉田塾長から全校放送で、本校は体育館で㟢本校長よりお話がありました。
吉田塾長は「皆が元気に帰って来られたこと嬉しく思います。昨日、学校に来るまでの道のりで2台の車しかすれ違いませんでした。祝日ということもありますが、皆がステイホームしていることなのだと思いました。しかし、今感染者は急増しています。コロナから脱出できるように、コロナにかからないようにするために私たちが出来ることは、マスクの徹底、手洗い、うがい、消毒です。これからも頑張っていきましょう。この冬休み中、無観客などで全国大会が行われました。サッカーの試合は、テレビで観戦しました。2回戦で負けてしまいましたが、その時のインタビューでキャプテンの松下君が『体力面は全国でも通用したが、サッカーIQを磨かないと上には行けない』とコメントしていました。すごいことだと思いました。サッカーIQとは技術だけでなく、心もある。チームプレイで相手を思いやることもある。色んな意味がある。それに気づき、努力することが大切だということなのです。最後に、竜キャンパスの玄関から見える石碑「一刻生涯」があります。あの石碑は、中国大連に留学していた大友颯馬君が一刻生涯という言葉を胸に一生懸命頑張った証に建立したものです。大友君は、留学中病気で亡くなりました。この留学に来て一刻生涯の意味が分かったと言って、懸命に頑張ってきました。皆が見えるようにあの場所に建てました。皆さんもこういう時だからこそ地に足をつけて、今出来ることをやっていきましょう」
㟢本校長からは「みなさん、よく帰ってきてくれました。2020年は本当に大変でした。2021年、今年は感染者が増え続けもっとひどくなっています。今後も通学、寮生活をしている私たちが状況をよく理解して、みんなが気を付けてこの半年頑張りましょう。留学生は去年の冬から帰れていない生徒が多くいます。この年末も終業式が終わった後も授業を受けていました。年明けも1月6日から勉強しています。この冬休みで一番印象に残っているのはサッカー部の頑張りでした。1つ1つの熱意の籠った心構えがTVで応援していた私たちにも伝わってきました。相撲部も1月1日から頑張りました。ゴルフも大会が危ぶまれる中、年末頑張ってくれました。各クラブ、コロナに負けないように頑張ってもらえたらと思います。私は今まででどうしようなく辛い経験が2つあります。ひとつは10年前の東日本大震災、2011年3月11日東北で2万2千人が亡くなる、行方不明になる大災害がありました、その10日後にここから救援物資を持って仙台の明徳関係者、その周りの住人のみなさんの為にと思い出発しました。そこで物資を降ろそうとしたところ、ここは食べるものもありますので次の家族の所に持っていってください。また、次に行っても次の方の為に・・・ということで最後に津波の被災地まで行きました。何もない所でカセットコンロ50個、その他の物資をお届けした時、涙を流しながら『ありがとうございました』という言葉をいただきました。もう一つは大友颯馬君が2016年11月6日に留学中の中国で心臓発作で亡くなったことです。高校2年生でした。彼は留学中にお母さんに『僕は明徳を卒業したら大連理工大学に進学したい。日本と中国の懸け橋になりたい』と夢を語っていたそうです。その1か月後に心臓発作で亡くなりました。東日本大震災でも夢と希望を持った人が亡くなりました。そして我々の仲間である大友君も自分の夢を叶えられなかった。
初代の校長である吉田幸雄先生が一刻生涯という言葉を残してくれています。時間を無駄にしないように一刻、一刻を大切に生きていこうというものです。竜キャンパスの生徒玄関の前に一刻生涯の石碑があります。この石碑は大友君のお母さんが颯馬君の大学進学に向けて貯めておられたお金を、明徳の皆に時間・命が大切だということを知ってもらいたいという思いで寄付していただいたものです。時間がある時に見てください。みんなは若くて元気でやれることがいっぱいあります。でもやりたいことをできなくなった人たちがいます。今はしんどいかもしれません。時間を無駄にしないように。自分は何ができるのか?今日から新しい学期がスタートします。時間を無駄にしないように友達を大切に、親を思いながら精一杯頑張ってください」と訓示しました。